「今日は、本宮の方に泊まるから―俺が帰ってくるまで、いい子で待ってろよ?」
ひとりで過ごす夜
「今日は月が綺麗だよ、ヒノエくん」
一人濡れ縁に腰掛けて望美はポツリ、と呟いた。
季節は春から夏へと移行している最中。
昼間は暑いけれど、夜はまだ涼しくて―夜着の単姿でこんなところに居るのが見つかったら、きっと女房さんたちやヒノエくんに怒られるんだろうな。と思うと望美は少しくすぐったくなる。
まだまだ熊野別当の奥方としてはタマゴにすらなれていない望美だけれど、それでも熊野の―ごく一部を除いた―人々に快く受け入れられたことに凄く感謝している。
その例外的な人たちは、ヒノエに恋心を抱いていた人だったり熊野の重鎮だったりするのだけれど―。
けれど、表面上望美は梶原家の猶氏となっているため”白龍の神子”という肩書き以上にそれが優位に働いているらしく重鎮たちからはとりあえず表立って何もされない。
けれど―ヒノエを恋い慕っていた人間からは別で。
両家のお姫様だったり、商家のお嬢様だったりと幅広い女たちが望美を品定めするような視線を投げつけ、時折詰り、貶してゆく。
嫁すときにヒノエ自身から、今までの女性関係―聞いていた時は正直、結婚するのを辞めようかと思った程だった―を聞かされていた望美は彼女たちにヒノエを取ったことに対する申し訳なさはあるけれど、だからと言ってヒノエを譲るつもりも誰かと共有するつもりも更々ない。
この世界に置いて、高貴な身分な人が一夫一婦であるというのは相当珍しいことらしく、ヒノエと望美が婚姻を結んでからまだ二月だというのに―それこそ熊野の重鎮を始めとするたくさんの人が俗に言う”愛人””側室”を薦めに釣り書きと共に訪れる人たちに望美はにこやかに対応しつつ、正室である自分を目の前にして次の女を薦めてくる人たちに対して心の中で剣で滅多打ちにしていたりする。
勿論、ヒノエは望美以外の女を迎え入れるつもりはない、と公言しているからその心配はない。
以前、遊びすぎた反動かはたまた望美が愛しすぎるからか―望美にしかもう反応しないしね。と褥の中で言われ、証明されたことは記憶に新しい。
「…同じ熊野に居るのに、離れて眠るなんて淋しいよ」
膝を抱えながら、月を見上げる。
太陽の光を浴びて、粛々と輝く月。
自分は月じゃないなぁ、あんなに厳かじゃないし、と思いながらも自分の夫である、まるで太陽の化身のような紅を身に纏うヒノエが居なければ自分はまるで月のように光り輝けなくなってしまう。
離れている時間は、まだ24時間すら経っていない。
けれど、結婚してから今日まで、一度として離れて眠ったことなどなくて。
自分だけしか眠らない褥に淋しくて、こうして夜も深まっている時間に普段禁止されている濡れ縁に出てしまった。
夜風に吹かれ、体がブルリと震えると望美は流石に褥に戻ろう、と立ち上がり自分に宛がわれている部屋へと戻る。
そして褥に潜―ろうと思ったところに、望美の部屋に置いてあるヒノエの長持に視線がいった。
あの長持の中には、確かヒノエが好んで焚いている香や着物があった、はず。
心の中でゴメンナサイと謝って螺鈿細工の上質な長持の蓋を開け―戦時や水軍と働く時に身に着けている白い上着を取り出す。
「ヒノエくんの匂いだ」
長持をきちんと閉め、上着を手にしたまま褥に戻る。
そうすれば、褥はヒノエの匂いでいっぱいになり、淋しさが少しだけ薄らいだ。
これならば、きっとぐっすりと眠れるはずだ―。
「おやすみなさい、ヒノエくん」
ギュ、っと強く上着を抱きしめて。
望美はようやく訪れた睡魔にその身を預けた。
影タイトル・『望美、初めてお留守番(笑)』 |