時空を越えて、現れた場所は私には見覚えのない場所だった。
「ああ、着いたね」
洋服を身に纏っていたヒノエくんの服は、直衣に変わっていた。其れを見て、私も自分を見下ろすと、着物に変わっていた。あの頃と同じ、ピンク色の着物。もっとも、下はスカートでもスニーカーでもないけれど。
そして、確認するように耳飾りと首にかけた逆鱗を探して、両方ともあることに、ほっとする。
「此処は別当邸―俺の邸だよ。外は真っ暗、か。誰かいないか?」
襖を開け、廊下に出てヒノエくんが声を上げる。すると、現れた―男の人。きっと、烏の人なんだろう。
暫く、2人が話をしていたら遠くから―衣擦れと人の気配。現れたのは、年嵩の1人の女性。
「別当様、おかえりなさいませ。まさか庭からお帰りに?」
「いや、さっき其処の部屋に帰って来てね。ああ、もういいよ。すまなかったね」
烏の人に礼を言って、ヒノエくんが部屋で一人立ち尽くしていた私の傍に戻ってくる。女の人は、私を怪訝そうな瞳で見てくるけれど、何も言葉を発しない…。い、居心地が悪いよ…。
「梓、こんな遅くに悪いけど、女物の着物を急いで数着、用意してくれないか? 他にも入用なものも大急ぎで頼む」
「畏まりました。では、此方の女人は当分此方に留まるので…?」
「いや、―俺の花嫁だよ」
居心地悪く、体を硬くしていたら、腰に腕を回され、引き寄せられる。そして、旋毛にちゅ、と口付けがひとつ。
「北の方様ですか? ご側室ですか?」
「正室だよ。―白龍の、神子姫だからね」
その言葉に、バッとヒノエくんを見上げる。いくら歴史、古典に弱い私でも知ってる。正室―北の方のことくらい知っている。
既に、ヒノエくんは然るべき家柄のお姫様を娶っていると思っていた。だから、側室―愛人でもいいと思ってた。傍にいられるなら、時折触れてくれるなら―それでいい、我慢しようって。
なのに。
「誰も、奥さんを迎えてなかったの…?」
「ん? ああ―。先だっての戦で熊野は軍功を上げたから、源氏方や京の貴族たちから散々見合いの話が来たけど、あの一夜限りの逢瀬が、忘れられなくてね―」
「別当様は、この1年程縁談の類は全てお断りなさっていらっしゃいましたわ。別当様もいい御年ですからそろそろ何方かを娶り、ご後継を生していただけなければならなかったのですが、持ち寄られる縁談を全てお断りしておりましたわ。―白龍の神子様を別当殿がお慕いしてらしたのは熊野の民全員が存じております。―別当様、海の男らしく姫君を攫っていらしたんですね」
ニッコリ、とヒノエくんがきっと隠しておきたかったことをさらりと口にした女の人にヒノエくんが苦々しい表情を浮かべる。奥さんを迎えなかったことを、そんなに隠したかったのかな…?
「熊野水軍の頭領だからね。一度は逃したけれど、至上の宝をそう易々と諦めれないさ」
「ですが、コレでご後継問題も少しは前進いたしますわね。それでは、私は御前失礼させていただきますわ。―明日の朝までに、取り急ぎ1着用意させていただきます」
「ああ、苦労をかけるね。姫君の着物を用意できたら、1日休んでくれて構わないよ」
「お心遣い、有難うございます。ですが、ご後継を産んで頂く方の身の回りのものを私が取り仕切らなければ誰がやると言うのです。少なくとも3日間は頑張らせていただきますわ」
ふふん、と言わんばかりに胸を張って誇らしげに微笑む、人。
カッコいいなぁ。でも、一番始めに名前を普通に呼んでたし、口振りから言ってもヒノエくんのお母様じゃないんだよね…?
「あ、あの。突然来て、お仕事を増やしてしまってごめんなさい。これから、よろしくお願いします」
ヒノエくんに腰を抱かれたままだけど、ぺこりと頭を下げる。
本当は、きっともう寝ている時間なんだと思う。なのに、此処に来ちゃったが為に仕事が増えて、休めなくなって…。
「まぁまぁ、頭などお下げにならないでくださいませ。明日は別当様のお部屋は、暫く人払いしておきますので、ごゆっくりとお休みくださいませ」
深々と頭を下げて、静々と来た道を戻っていく姿を見送りながら、彼女が言った言葉を反芻する。人払い―そのまま、人を寄せ付けないこと、よねぇ。何で、人払いする必要があるのかな?
別当なんだもん、突然の仕事や災害があるかもしれないのに―って流石に其れがあると来るだろうけど。
「さ、梓もああ言ってくれた事だしとりあえず、俺の部屋に行こうか…」
くるり、と回転させられてヒノエくんに正面から抱きしめられる形に、なる。そして声に含まれる艶に心臓がドキン、と高鳴って顔が赤くなったのが、解る。
ヒノエくんに抱きかかえられて、連れられたのは―立派な調度品に囲まれた、部屋。きっと、さっき話をしている間に用意されたのだろう、寝床も準備されていた。
「なぁ、望美。―俺は、俺の全てを持ってお前を幸せにするよ。
愛してる、俺の、俺だけの―天女(あまおとめ)」
褥に押し倒され、帯に手をかけられながら、降ってくる口付けを甘受する。
囁かれる言葉に酔いしれながら―私は。
好きな人と一緒になれる幸せをかみ締めていた。
ヒノエくんのいる世界に居続ける、と言う想いと共に―
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